壁と卵と泥酔と

ひーら

2009年02月18日 23:59

今月になってから、2紙取っていた新聞のうちのひとつを止めた。長く慣れ親しんでいた方だ。子どもの頃から読み続けているので、まあ愛着はあると言ってもいいし、残る1紙が朝刊だけしかないので、家に帰ってから夕刊に目を通すちょっとした楽しみの時間が無くなるとか、近所のスーパーの特売チラシが全く手に入らなくなって妻が不便じゃないかとか、まあいろいろと迷ったけど、結局のところ、月に4,000円弱のお金を払う価値がないんじゃないかと思ったからだ。もう少し言うならば、さらっと目を走らせた記事の内容に理解しにくいところがあり、それを何度読み直してもわからないのが、もう1紙の方を読むとあっさりと理解できたというようなことが増えてきて、もうガマンができなくなったのだ。

で、今のところ、止めて正解だったかな。

新聞を読んでいた30分~1時間くらいの時間が浮くはずだから、それは、楽器の練習の時間に充てよう ♪ なんてことを考えていたのだけれど、それはできていないのだけれども(^^;

消えた時間は、いろいろな人の書いているブログの記事を読むのに費やされている。
村上春樹のエルサレム賞受賞をめぐって表明されているさまざまな人の意見や議論には、とても考えさせられるものがあるし、泥酔大臣が世界に向かって醜態を晒した事件についても、いろいろな見方があるものだなあと驚かされたりする。関連する海外の生情報もどんどん入ってきたりするし、それがあっというまに翻訳されたりしているのを見る方が、普通に配達される新聞を読んでいるよりよっぽど面白いのだ。

で、大臣泥酔の原因が、同行の新聞記者たちと飲んでいたからであり、それだから、各新聞にははっきり泥酔と報道されなかったのではないかという話とか、直前の飲酒同伴が発覚した美人女性記者を抱える新聞社が、彼女の写真を次々と自社のウェブサイトから隠すように消しているというようなことまで、ブログを読んでいるとわかったりすると、ますます、新聞読むのもほどほどにした方がいいかなあって、思うのであった。

でも、自分は、子どもの頃に、例えば新聞でたくさんの漢字を覚えたりしたのが良い経験(って程でもない?)だった(「柴田」とか「田淵」とか「醍醐」!とかね)と思っていることもあり、4年生の長男には、TV欄でいいから新聞読んでくれないかなぁとジリジリしたりもするのだけれど。

そして、明日は止めてしまった新聞を駅売りで買うんだ。これ読まなきゃね。
明日19日の北海道新聞朝刊に、2001年11月22日に私が書いた いい汗いい話「笠谷兄 努力で世界的コーチ」が、再掲載される。(「伊藤龍治のもっといい汗いい話」より)



そう、ちょうどこの古い本を読んでいたんだけど、壁と卵のスピーチで語られたことがよくわかる内容の対談で、興味深かった。偶然だけど、よい時期に読めてラッキーだったな。





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